写真帖(観光写真・その他) 行程表に戻る 写真帖(鉄道写真・車窓風景) | ||||||
主なみどころ ・福岡県柳川市 ・長崎の夜景 ・軍艦島(端島) ・日本一標高の低い中央分水界 |
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1日目(11月17日) 広島県呉市「大和ミュージアム」 山陽 瀬戸内海 いい天気だ〜〜 | ||||||
山形→伊丹 航空機の眺望 | ||||||
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月山 | 村上から鼠ヶ関 | 柏崎 | 直江津付近 | |||
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妙高山と焼山、向こうに白馬岳 | 飛騨山脈、麓は大町市 | 乗鞍岳、向こうは白山 | ||||
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御嶽山 | 名古屋港 | 知多半島と中部国際空港 | ||||
海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館) | 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) | |||||
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戦艦「陸奥」の艤装品など | ![]() |
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呉の夕暮れ 正面右側の斜面は「大和」船首を復元 | ||||||
1/10戦艦「大和」(大和ミュージアム) |
閉館間際の 「大和ミュージアム」 |
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管理人が中学生の頃、旧日本海軍の艦船の模型作りに没頭していました。当時の手のひらサイズの思考から、1/1サイズとしての現実を見据えるきっかけとなる観覧でした。 | ![]() |
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2日目(11月18日) 福岡県柳川・大川 筑後平野の百万の生活の幸にふれて | ||||||
柳川市 川下り | ||||||
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舟乗場 西鉄柳川観光開発のどんこ舟 | 柳川城堀水門 ここからはじまる | |||||
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並倉 「なみくら」 味噌醸造所 | 柳の川 「日本の道百選」で整備されたもの | |||||
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日吉神社 婚礼舟 謹んでお祝い申し上げます。 | 田中吉政公銅像 | 弥兵衛門橋 「もたせ」と呼ばれる構造 | ||||
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弥兵衛門橋を抜けたところにある立派な木 | 壇一雄文学碑 | 柳城一号橋 透明板の透かし彫り | ||||
どんこ舟の真向かいに同乗した若いご夫婦、埼玉県在住で旦那さんが山形出身とのこと。年数回は山形に出かけるそうで。 福岡県柳川市の舟の上で、「『チェリーランド』(山形県寒河江市の道の駅)のアイスクリームがおいしいよね」なんて会話で盛り上がりました。 |
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柳川市 散策 | ||||||
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北原白秋生家・記念館 | 旧戸島家住宅 | |||||
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掘割点景 | 御花。松濤園 | 松濤園庭園 右側の橋は「出逢い橋」と呼ばれる。 | ||||
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映画「柳川掘割物語」のパンフレット掲載の写真。たぶん同じ場所だと思う。 | |||
左の写真の一部拡大 向こうに弥兵衛門橋を望む |
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出逢い橋 舟客とお互い手を振りあうのが心地いい。 |
「まちぼうけの碑」から東方に掘割を望む。 先ほど乗ってきた川下りの舟が見える。左側には蜘蛛手網(くもであみ)も見える。 |
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柳川掘割物語 1987年公開のドキュメンタリー映画 宮崎 駿;制作 高畑 勲;脚本・監督 有明海の最奥にあって、干満差が最大6.5mに及ぶ平坦な湿地帯、南筑後平野。水路を掘り、宅地や農地に土盛りすることにより、豊富に見えて実は使いにくい水を上手に利用してきた。入り組んだ水路一つが、飲料水、生活用排水、農業用排水、漁場、水害防止などの用途を併せ持つ。そんな多くの機能を捨て去り、掘割との関わりを忘れたらどうなるか。 この映画では、伝統的な水の循環システムと使い捨て近代化との相克、煩わしい水との付き合いと住民同士の連帯、官民協働のあり方、風光明媚なだけではない、「泥臭く」も本当にたくましい人の営みが、時に決然と、時に情緒豊かに語られる。 今、考えるのは、映画公開から20年経ち、昭和から平成に移ったこの間、映画で克明に描かれた風景、どこまで変わらずにあるのだろうか、ということ。 |
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山形市内の公民館で上映会とシンポジウムがあって、初めて映画に触れる。高畑監督と作品中の広松 伝氏がパネリストとして招かれていて、非常に感銘を受けた。 ついでにパンフに、監督からサインをもらったりして。 |
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(上)まちぼうけの碑 (右)山王橋より西方、柳城公園を望む。うなぎ供養碑が見える。舟下りコース。 |
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掘割の十字路 柳城橋から北方を望む。 舟下りでは右から出て手前に進む。少し風が強い。 |
「この道はいつか来た道」といえる日がまた来るか・・ |
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柳川市 サイクリング | ||||||
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山王橋から東方を望む。夕刻、もう舟は見当たらない。 柳川の観光地図の表紙写真の構図 |
掘割の十字路 あめんぼセンターから東方を望む。 舟下りでは向こうから来て右に曲がる。 |
柳川城堀水門 オカから眺めるとこんな感じ。 |
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柳川城天守閣跡 この箇所だけ台地状の高台になっている。 五層の立派な構造物だったという。 |
掘割の十字路 一厘橋から南方を望む。 舟下りでは左から出て向こうに進む。 一厘橋の名称は、かつての私設有料橋の名残。 |
西鉄柳川駅 |
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夜の福岡国際空港 ちょっと道草がてら。 | ||||||
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3日目(11月19日) 松浦鉄道、唐津市、九響定期 これはなんともまったりした列車旅 | ||||||
鏡山 | 唐津城 | |||||
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唐津城天守閣からの展望 | ||||||
4日目(11月20日) 島原鉄道、長崎の夜景 雲の雲仙、夜長の長崎 | ||||||
雲仙普賢岳資料館 加津佐の砂浜で知り合ったご婦人と、帰りの島原鉄道の列車の中で四方山話に花を咲かせて、島原外港駅で下車。 駅から歩いて5分くらいのところにある小さな資料館。雲仙普賢岳の火砕流と土石流の被害と復興の記録。 隣で展示を見ていたご婦人、無言。そして微かなすすり泣き。聞けば、旦那さんの友人が犠牲になった由。 謹んで被害に遭われた方々に黙祷。 |
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島原城からの眺望 なぜか間近で天守閣を撮ってない。 | ||||||
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島原駅前を望む。左手の列車は諫早行き128 | 島原外港、九十九島方面を望む。 | |||||
稲佐山 長崎の夜景 | ||||||
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長崎駅 | 長崎フェリーターミナル | 水辺の森公園 | ||||
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長崎港松が枝国際ターミナル | 造船所 | ながさき女神大橋 | ||||
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5日目(11月21日) 軍艦島、伊万里の牛のたたき 大村湾穏やかなれど、軍艦島は波高し | ||||||
本日の長崎市内 | ||||||
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長崎駅前広場 県警音楽隊のアトラクション |
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長崎原爆資料館 | 原爆落下中心地 | 平和公園 謹んで黙祷。 | ||||
軍艦島クルーズ | ||||||
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長崎港 |
長崎港 造船所の一角 護衛艦「ちょうかい」「あしがら」、背後にコンテナ運搬船 |
中央付近がグラバー亭 |
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女神大橋を眺める乙女 |
右側の大きな島が高島 この地点で軍艦島が見えています。(左から2つ目) |
高島 風力発電機が目印 |
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本日の軍艦島(端島) | ||||||
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東側から見る | 西側から見る | 南西側から見る | ||||
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反時計回りに島を回る。北側から西側へ。 | ||||||
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小さな祠が見える。 | ![]() |
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南側から見る | 本当にたくさんの人が住んでいた。 | |||||
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さらば、軍艦島 | ![]() |
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遥か彼方に霞む軍艦島 | |||||
本当に軍艦に見える位置 後にこの辺に着岸して上陸できるようになったそうな。 |
フェリーターミナルから見た長崎港 |
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6日目(11月22日) 山口県 みすゞを訪ねて、萩の夕刻散歩 静かだね、響灘 | ||||||
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金子みすゞ記念館 | 仙崎駅からのバスの車窓から、波の橋立方面を望む。 | 萩 橋本川河畔の桜の紅葉 | ||||
7日目(11月23日) 余部橋梁、玄武洞、城崎温泉 日本海もまた気持ちのいい天気 | ||||||
玄武洞 玄武洞ミュージアムでは、玄武洞の柱状節理の成因の動画解説のほか、 鉱物、岩石、宝石、化石など大小様々な展示物があって、観ていて飽きない。 外に出て階段を上った先にあるいくつかの洞窟。卓越した柱状節理が見られるところ。 夕闇刻々深くなり、幽玄の趣。ちと身震い・・ |
城崎温泉の夜 午後7時過ぎ。宴会真っ最中なのか、人通り全くなし。 |
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白虎洞 | ![]() |
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↑北朱雀洞 南朱雀洞→ |
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玄武洞 | ||||
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8日目(11月24日) 兵庫県石生の中央分水界 温泉だもの、入らなきゃ | ||||||
JR福知山線 石生(いそう)駅 | ||||||
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ホームの看板 | 跨線橋の北側 降った雨は日本海に流れる。 | 跨線橋の南側 降った雨は瀬戸内海に流れる。 | ||||
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← 石生駅の駅舎からここの間に100m等高線が横切っている。 この等高線は、延々と管理人の住む山形県村山地方まで続いている。これは、考えてみれば当たり前なんだけど、なんかやはりすごいことだ。 |
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←水別れ橋 郵便配達の車が走る方向が分水界となります。分水界の標高は最も低い箇所で、95.45m。 |
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水別れ資料館 ミナミトミヨという魚、京都府から兵庫県にかけて生息していた。生活の近代化により個体数が激減し、1960年代に絶滅したとされる。展示の中で、近縁種として山形県天童市のイバラトミヨが紹介されていた。この種は隣の東根市の小見川、荷口川などで生息が確認され、現在も保護が図られている。 |
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右の写真の谷は、水別れ資料館の上流部になりますが、どの河川の流域に属するのかは、現在グレーゾーンになっています。それは左の写真にあるとおり、谷から集まった流水が、日本海側と瀬戸内海側の二手に分かれるからです。 |
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管理人にとって「黙祷」とは 災害、事故等の犠牲になられた方の生前を偲び、失われた人生に思いを巡らせ、 また、自己の安泰を感謝し、今後の安全を祈り、万が一災難に遭遇したときは覚悟を決める。 そういうこころの動きです。 |
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